ノーカントリー

3/14,シネマメディアージュにて。


観終わってまず思うのは,あのラストは何だったんだろう?ということだろう。

眠っているときに見る夢は,それを見ているときは文字どおり夢中だし鮮やかな感覚があるが,いざ目が覚めてしまうと何か曖昧になったりすぐに忘れたりしてしまう。断片的に記憶が残っていて,あの夢は何だったんだろう?と考えたりもする。

この映画,シガーが去って行く姿を見るまで手に汗握りっぱなしで,何がどうなるんだろう?と観ているけれど,保安官の食卓シーンになった途端にふっと気が抜けて,夢の話を聞いているうちにすぐに暗転,エンドロールに入ってしまう。全てを見せていないシーンも多いので,観ている自分は,え?と思って色々と話をつなげようと考え始める。

監督の意図にあるのかどうかはわからないが,この夢をみたときのような感覚・後味が素晴らしい。

ラストでベル保安官が話す2つの夢は,具体的に何かを象徴しているかもしれないが,その正答を得ることよりも,めいめいの胸の中でいくらでも考えるのがいいのだろう。この映画はそれを可能にさせるだけの出来栄えだと思う。

私が感じたのは次のようなかんじ。

ベル保安官は,シガーという「理解できない悪」みたいなものに触れて身を引くわけで,確かにタイトルどおり老いた者に居場所は無いのかもしれない。が,それでも,老いた者は夢に出てきた父親のように,見えなくてもどこか先では松明を照らすことは出来る,ということを象徴してるのかな?と。

出番やあまりのインパクトに,シガーが助演?と思う向きもあるだろうが,やはりこれはベル保安官が主演の映画なんだなあと思った。


しかしシガーにシャツを渡した少年の乳首にはギクリとしましたね。思春期に男でも乳腺が発達してちょっと痛くなることがありますが,まさにそんな状態です。全編通してあまり"性"を感じさせない中,性の萌芽といいますか,何か見てはいけないものといいますか,得も言われぬ衝撃がありました。


そして映像が凄いです。コーエン兄弟作品は,どのカットもとても美しい構図の写真のようでありながら,そこに動きが入ってくる「静と動」がたまらないと思いますが,この映画はまた格別であります。冒頭の数カット(ここにかぶさるナレーションもお約束でたまらない)から素晴らしく,画だけでも息を飲みっぱなしでした。


とまあ,実にいい作品でした。坊主頭にしたいような踏み切れないようなで髪が伸びっぱなしの私,シガーみたいな髪型になってきた最近です。