ドラえもんの誕生日,まずこの記事を引用しておこう。
この成し遂げとは、将来のび太としずかちゃんを確実に結婚させること。ドラえもんは少しでも「未来に帰りたい」と口走ろうものならば、即座にプログラムが働き、強烈な電流を体中に流して反省を促すのだ。考案した山崎監督は「ドラえもんの葛藤がしっかりと描けるし、のび太との出会いと別れを効果的に表現できる。最初はドラえもんがのび太と一緒に暮らすことを嫌がり、友情を育んだ後半はのび太と別れたくないのに未来へ帰らねばならなくなる。便利な装置でしょう」と狙いを説明した。
http://www.sankeibiz.jp/express/news/140808/exf14080815300005-n4.htm
八木監督は「今の子供たちに『こんな未来を作ってね』とメッセージを込めました」と映画化の意図を説明した。 http://www.sankeibiz.jp/express/news/140808/exf14080815300005-n1.htm
「便利な装置」「成し遂げプログラム」が,インタビュー読んで感じた以上にクソで,一事が万事映画全体にそのクソの臭いが染み付いてた。なんだかんだで結局ドラ泣きしちゃうんじゃないかな?と思ってたけど,終始完全に無表情で鑑賞......でした。
未来の風景
予告編でも出ていたTOYOTAな未来,セワシのいる22世紀ではなく14年後だった。野比家が公衆便所になってるのは原作通りだけど,かつての街の風景が全て失われて,劇中の現代ほどディテールも描かれず,TOYOTAとPanasonicのロゴばかりの単調な街。「成し遂げプログラム」だけがディストピア要素なのかと思ってたら,たった14年後の未来が既にディストピアになっているという。やはり監督の思想が映像にそのまま出るんだなー
他にもある「便利な装置」
あれ?のび太ってこんなにどうしようもない奴だっけ?とか,ジャイアンって単に言われのない暴力振るうだけの奴なの?という印象が強く残る。登場人物の描写を「みんな原作知ってるから大丈夫だよね」とばかり省いて,単に既存の感動エピソードを繋げてなぞるだけなのね。そんなだから,例えば,しずかパパが結婚前夜に語るのび太の良さがまるでこちらには伝わってこない。映画単体で成立していない。
泣ける映画が良い映画だと思っている人たちに対して,涙活=ドラ泣きを提供する。『ドラえもん』という作品自体をそういう「便利な装置」として利用してるんじゃないかと思う。まあこれが50億売り上げているわけで,商売としては大成功なんだけど......。
成し遂げプログラム,再び
冒頭部,過去でのび太の手助けなんてしたくないドラえもんは,成し遂げプログラムのペナルティで電気ショックを受ける。これはインタビューで予想してたからまだいい。でも「便利な装置」を使わないわけにいかない監督,終盤『さようならドラえもん』パートで逆の使い方をする。こちらがむしろ最凶,狂ってるとしか言えない。
成し遂げプログラムでは,事を成し遂げてしまうと48時間以内に未来に帰ることが義務付けられている。ドラえもんが「(のび太と別れたくないから)未来に帰りたくない」と言うと,成し遂げプログラムの「禁止ワード」にひっかかり電気ショックを受けてしまう。
監督のドヤ?俺の考えた「便利な装置」?という顔が目に浮かぶ。ドラえもんとのび太が育む関係をきちんと描けば,電気ショックなど与えなくてもドラえもんの気持ちは伝わる。原作で,ジャイアンに勝って眠るのび太を見守るドラえもんの顔を,監督はどんなつもりで読んだのか?Wikipediaのあらすじ読むだけで涙が出てくるというのに。
この2回目の成し遂げプログラム発動を裏返すと,ロボットであるドラえもんに対して人間性を認めていることになる。人間であるのび太との友情・信頼関係を築き,電気ショックを受けても帰りたくないと悩む人格があると。それなのに成し遂げプログラムを平気で組み込み,人間扱いしていないことが恐ろしい。本当に『こんな未来を作ってね』と考えているの?
褒められる点
過去が変わり,「成し遂げプログラムを組み込むセワシ」が存在しない未来という可能性が分岐したこと。
そして何よりもおばあちゃんの思い出とフー子には手を出さなかったこと。
でも,興収50億の勢いだと嫌な予感がするね。